ネガティブ思考の歩き方。

ネガティブ、マイナス思考・・・周りからそう言われて悩んでいる人っていますよね?僕もその一人。でも、ネガティブがそんなに悪いことなのか・・・たぶんそのおかげでうまくいっていることも多いはず。そんなネガティブ思考を前向きに考えるブログです。日常の出来事を中心に今更変われないネガティブ思考で前向きに考えます!

ネガラーによるネガラーのための介護講座。

おはようございます。

 

身内に4人の「要介護者」がいるネガラー、EZです。

 

僕には自分の母、叔母、妻の両親の4人の要介護者が存在します。

 

といっても在宅でずっと介護をしているわけではないので、一般的な「介護家族」の辛いイメージとは少し違っています。でも辛いことは辛いんですけどね・・・

 

幸い、母はまだ自分で身の回りのことができるし、叔母と妻の両親は施設に入所しています。

 

しかし、だからと言って負担が全くないわけではありません。

 

イメージ的に、施設に入るとほとんど何もしなくていいと思いますよね?

まぁ日々の身体的介護などはありませんが、何もしなくていいというわけではありません。

 

意外と施設に入れることも色んな苦悩を抱えるんですよね。

 

その最たるものが、「罪悪感」。

 

・自分の親をほったらかしにするのか。

・なぜ自分で世話をしないのか。

・やっかいもの払いをして平気なのか。

 

こんな罪悪感からなかなか自分の親を施設に入れる事ができない人も多いと思います。

なんとなく世間の風潮にネガティブに反応しているんですよね。

 

でも、だからといって自分の仕事やプライベートをすべて犠牲にして無理に家で介護をすることが果たして正解なのでしょうか。

 

僕は長い間、介護業界にいました。その間、何組もの介護家族に出会いました。

その経験からの結論は、「介護で自分を犠牲にしない」というものです。

 

決して親のことをいい加減に考えているわけではありません。

でも、家で介護するというのは物理的に無理な場合があります。

 

仕事を辞めて、家で四六時中介護するのは一見美談のように見えますが、その向こう側に何が待っているか、想像してください。

 

あ、これについてはまた別の機会にお伝えしたいと思います。

それほど奥深い話なんです。

 

で、僕も世話になって叔母を施設に入れることにしました。なぜ叔母さんを僕が・・・と思うでしょう?そう、子供さんがいなかった叔母さんが、旦那さんに先立たれて一人になり、僕が面倒を見ることになったんです。

 

でも僕にも仕事があり、家族もいます。そして家も叔母を引き取って介護できるような部屋はありません。

 

この状態で在宅介護する場合、仕事を辞めて家も引っ越さなければなりません。

そんなこと可能だと思いますか?今は可能でも何年後かはどうなっていると思いますか?

 

なら、今の介護保険制度の中で施設を利用するほかありません。これは僕に与えられた正当な選択肢なんです。

 

でも。。。その決断をした僕に待っているのは「罪悪感」との闘いです。

 

面会に行くといつもこう言われます。

 

「お前は何しに来たんだ。」

「早く死ねと思ってるだろ。」

「こんなところに押し込めやがって。」

「邪魔者はよそへいけということか。」

「他の家はうらやましい。家族がいるから。私はあなたに捨てられた。」

「たまにしか来ないくせに。」

「もういい、早く帰れ。」

 

これを毎回1時間、繰り返し繰り返し言われます。

僕はそれを笑顔で一つ、一つ否定していくのです。

叔母は認知症です。だからある意味こういうのは仕方ない。

でも、わかっていてもやっぱり辛いですよ。

 

なかなか面会に行けない時は、行けてないことに罪悪感を感じています。

それは叔母が家に居ないからこそ、毎日毎日感じています。

 

施設に入ってもらっているからといって、

誰一人、親を適当に考えている人はいないと思います。

 

むしろ毎日その罪悪感と闘っているんだと思います。

 

ネガラーなりに、その罪悪感を受け止めて生きています。

介護家族のネガティブ思考もすごく理解できます。嘘じゃない。

 

たまに出会う、介護を知らないポジティブ人間の薄っぺらい励ましに

イライラすることもあります。特に年配のそういう人には。。。

 

介護家族の皆さん、介護なんてポジティブにできるわけないんです。

ただ、同じようにネガティブになりながらも懸命に辛さや罪悪感と

闘っている人が必ずいます。

 

頑張ろう!なんていいません。

 

とにかく、生きましょう!

 

ではまた。