トロッコ問題について
おはようございます!
ちょっと気になるニュースがありました。
「トロッコ問題」の話です。
自分の前を1台のトロッコが猛スピードで走ってきました。線路はこの先2つに分かれていて、一方には作業員が一人、もう一方には5人線路上にいます。どちらもトロッコが猛スピードで走ってくることに気づいていません。危ない!と叫んでも作業員たちには聞こえない状況です。しかし、あなたの前には線路の切り替えレバーがあります。右に引くと一人の方、左に引くと5人の方にトロッコを進めることができます。
さて、あなたはどちらの方向にレバーを切りますか??(ちなみに自力でトロッコを止めたり、誰かに助けを求めることはできません)
これは有名な哲学の話です。どちらを選択しても犠牲は出てしまう。こんな極限の状況でどういう決断をするのか、というのを考える問題ですね。
ポイントは自分自身で考えること。正解はありません。
この問題をある小学校で授業の題材に使ったところ、保護者から苦情が来たというのがニュースになっています。子供がこの残酷な選択問題に不快感を持ったと・・・
実は僕、以前教員として勤務していた専門学校で同じく授業でこの問題を使ったことがあるんです。だからこのニュース、すごい関心があるんですけど・・・まぁ僕はもう20歳ぐらいになる学生相手にやったので苦情はありませんでしたが、小学生にはやはり重すぎるテーマなんですかね。。。
でも、小学生ってかなり残酷なでリアルな殺戮シーンのゲームを平気でやってません??あっちの方がよっぽど不快だし重いと思うんですけど(;'∀')
しかもトロッコ問題は自分自身でその結論と根拠を導き出したり、他者の考えを聞いてさらに思考を深めたりという要素があるけど、ゲームは襲ってくるから殺す、というボタンを押すだけの選択だから思考もあまり使わない。
1時間の思考を鍛える授業と、何時間も繰り返すリアルな殺戮シーンとどっちが子供に影響ありますかね。
この苦情を言っている保護者は、当然自分の子供にそんなゲームをさせてるわけないし、ゲーム会社にも同じく苦情言ってますよね?当然。でないと単なる偽善者ですよ。
「そんな単純な比較じゃない」と言うんでしょうが、そういうのが大事な教育をダメにしていってるんです。
今、この瞬間自分が楽しければいい。人と同じことをすると安心する。自分の利益にならないことは何もしない。
こんなのが当たり前になりつつ若者。そして画面やボタンで繋がる関係。
そんな中で、これぐらいのインパクトを与える時間はあってもいいと思いますが。。。
すぐ横に生身の人間がいることを感じ、極限の選択を考える時間。そこから産まれるものは決して不快なものではないと思います。
この理論で行くと、戦争の話ももうできなくなるかも知れませんね。
子供が不快になるから、という理由で。。。