神戸市での教員間いじめ問題。
こんにちは。
久しぶりに投稿します。。。
今、神戸の小学校で教員間のいじめ問題が非常に話題です。
僕も専門学校ですが教員経験があるので他人ごととは思えません。
実際、僕も上司の教員からあそこまでではないですが、長い間理不尽な対応を受けて精神的に破綻した経験があり、今回の被害者教員の方を想うととても心が痛いです。落ち着いて、ゆっくり、回復されることをお祈りしています。
今回の主犯教員は、40代の独身女性教員で、家系も教育一家の様です。
実は僕がそうなった原因の上司も同じなんです。40代女性で独身、両親、兄妹も教師。
なのでより一層、他人ごととは思えません。
もちろん一概には言えませんが、やはりこういう加害者を産みだす要因として、「閉鎖的空間での立場的優位の勘違い」というのが関係しているように思います。
学校というところは言わずと知れた閉鎖的空間です。世の中の常識がここでは非常識になり、非常識が常識になる世界。ここに22歳で社会も知らず入り、いきなり「先生」と呼ばれる立場的優位を持ち、そして10年、20年と経過していくうちに感覚のマヒを覚えるんです。
自分は偉い、お前は経験が浅いからダメ。そんな図式が当たり前になり、どんどんその感情がエスカレートしていじめとコミュニケーションの境目がわからなくなります。
そんな中でも外部との接触をうまく持てればこの感覚のマヒも緩和されるんですが、その接触がどうしても少ない場合はこの主犯教員のようになるんだと思います。
僕がいた専門学校は福祉系でした。福祉業界も学校と似ていてかなり閉鎖的です。
その福祉業界出身の人が教員としている学校です。もちろん、独特な閉鎖的環境は作られていました。
そんな中で、僕ともう一人は民間企業から転職してきた方がいたのですが、この方とは常に学校や他の教員の方針、発言、行動などの違和感を共有していました。
僕らが民間企業で経験したことのないような形で仕事が進んでいくんです。
効率は悪いし、無駄が多い。自分はいいけど学生はダメ。理不尽な振る舞いをする教員を見て見ぬふり。そんなのが当たり前でした。
この神戸の小学校は特にひどい、というかありえないぐらいのことが起こった感じですが、似たようなことはどこの学校でもあるんだと思います。
福祉の現場でもそういうストレスもあって利用者への暴行や虐待が起きたりすることもある。
対象が子供とか高齢者、障碍者という特殊な環境での仕事だから、より従事者のケアは必要なんだと思います。
でも学校も福祉現場もそれはあまりやりたがらない。
第三者を入れることにも抵抗を示す傾向が強いんです。
何故か・・・
それがそこでの「常識」だからです。
最後に被害に遭われた教員の方々の健康と今後のご活躍をお祈りいたします。
台風の前に思うこと。
おはようございます。
台風です。3連休なのに。。。
実は年に1回の友人たちとのツーリングを予定しているんですけど、この調子じゃ無理ですね。。。
それよりまた関東の方にも影響が大きくでるみたいなので、千葉県の方はほんとに十分警戒して頂きたです。というか、どうかそっちには行かないように祈るしかありません。
こういう時、「また俺だけ台風にやられる」みたいに思ってしまいますね。
なんで俺が予定入れた時に限って・・・とか。
実際、昨日も自宅から駅までの数分だけ豪雨でずぶぬれになったし。それ以外は1滴も降りませんでした('◇')ゞ
でも、世の中には同じような人がたぶん何万人っているんだと思うと、少し気は楽になります。そしてその中にもかなりのネガティブ人間がいるはず。
そしてそのネガティブ人間の中には、僕なんかより厳しい環境で生きてきた人も絶対いる。
うーん。。。
週末に台風が来るということでここまで思考を巡らせる自体、ちょっと変わってるんでしょうね(;^ω^)
では。。。
良いことをすると・・・どうなるんですか??
こんにちは。
まぁ僕はネガティブが服を着て歩いているような人間ですが、所謂「ついてない」ということもたくさんあったりするんですね。
例えばですが、中学の時友人たちと喧嘩に巻き込まれて、何もしてないのに自分だけ10人ぐらいにボコボコにされたとか、何も言ってないのに悪口を言いふらしたとして殴られたり、鳥の糞が自分にだけ当たるとか、飲食店で店員が順番に水を入れているのに僕だけ溢れてこぼしてしまうとか・・・なんか何人もいる中で、「僕だけ」に起こることが非常に多く、それも嫌なこと専門なんですよね。
気のせい・・・かもしれませんが、最近は嫁さんも「なんであんただけそうなるんやろね。。。」と言ってきます。
ネガティブになっていったのも、元々の環境に加えそういう「ついてない」と思うことが何度も重なって、そういう意識が染みついてしまっているのが原因だと思っています。
なので、僕は少しで運が向くように「一膳」を心掛けています。
そんな中、こんな出来事に連続して遭遇しました。
まず、駅の改札口近くで突然おじいさんが躓いて倒れ、コンクリートの塀で頭を打ったんですね。僕は少し離れたところでその瞬間を見ていたんですが、近くにいた人誰も近寄らず、声も掛けないんですよ。僕は走って行って、「大丈夫ですか?頭打ってるから動いちゃだめですよ!」と言って、その場に寝かし、連絡先を聞こうと色々問いかけていました。仕事の時間に遅れるかもしれないと思いながら、でもこっちを優先して声を掛けていると、偶然警官が通りかかり、応対を変わってくれました。その間5分ぐらいかなぁ。歩いている人一人も手伝ってくれませんでした。
その1か月後、ホームで電車を待っていると、前列に立っていた若い人がふらふらと足元から崩れるように座り込んでしまいました。そして自力で列の後ろまで移動し、倒れるように寝転んでしまいました。また僕は少し離れたところにいたんですが、これもまた誰も助けようとしないんです。真後ろに立っていた人もです。
僕は走り寄って、「大丈夫ですか?駅員呼びましょうか?」と声を掛けると微かに頷いたので、すぐに詰め所まで走り駅員を呼んできました。駅員さんに車いすの乗せられ、運ばれていきましたが・・・また誰も無関心。。。
ま、日本人ってこういう人種ですよね。誰かが行かなければ行かない。
やらなければやらない。
または人がやってたらマネする。マネしないと恥ずかしい。
そしてこういう人がポジティブに生きてる。他に関心を持たなくても、自分がそのポジションを失わなければそれでいい。楽しければそれでいい。
でも、僕はそうじゃない。
こういう時に声を掛けることで見返りを期待してるわけじゃないけど、もしかしたら運が回ってくるかも、と多少は期待するところもある。もっと言えば、そうしないと自分はもっとツキが無くなって、もっと不幸になる。って思ってる。
数日前も僕の電車で横に座ってた学生さんが下りた後、その席に財布が落ちてました。知らんふりすれば拾得物扱いになるからほっとけばいい、でもその前に誰かに取られるかもしれない。するとこの学生は困ることになる。なら僕が拾って具体的な情報とともに届けた方が安全だ。
学生さんが着ていた制服で学校もわかっていたので、その情報とともに駅に届けました。
でもこんなことやっても僕にツキなんてこないことはわかってるし、何にもならないのが現実なんですよね(;^ω^)
まぁ、気持ちの問題ですね。。。
トロッコ問題について
おはようございます!
ちょっと気になるニュースがありました。
「トロッコ問題」の話です。
自分の前を1台のトロッコが猛スピードで走ってきました。線路はこの先2つに分かれていて、一方には作業員が一人、もう一方には5人線路上にいます。どちらもトロッコが猛スピードで走ってくることに気づいていません。危ない!と叫んでも作業員たちには聞こえない状況です。しかし、あなたの前には線路の切り替えレバーがあります。右に引くと一人の方、左に引くと5人の方にトロッコを進めることができます。
さて、あなたはどちらの方向にレバーを切りますか??(ちなみに自力でトロッコを止めたり、誰かに助けを求めることはできません)
これは有名な哲学の話です。どちらを選択しても犠牲は出てしまう。こんな極限の状況でどういう決断をするのか、というのを考える問題ですね。
ポイントは自分自身で考えること。正解はありません。
この問題をある小学校で授業の題材に使ったところ、保護者から苦情が来たというのがニュースになっています。子供がこの残酷な選択問題に不快感を持ったと・・・
実は僕、以前教員として勤務していた専門学校で同じく授業でこの問題を使ったことがあるんです。だからこのニュース、すごい関心があるんですけど・・・まぁ僕はもう20歳ぐらいになる学生相手にやったので苦情はありませんでしたが、小学生にはやはり重すぎるテーマなんですかね。。。
でも、小学生ってかなり残酷なでリアルな殺戮シーンのゲームを平気でやってません??あっちの方がよっぽど不快だし重いと思うんですけど(;'∀')
しかもトロッコ問題は自分自身でその結論と根拠を導き出したり、他者の考えを聞いてさらに思考を深めたりという要素があるけど、ゲームは襲ってくるから殺す、というボタンを押すだけの選択だから思考もあまり使わない。
1時間の思考を鍛える授業と、何時間も繰り返すリアルな殺戮シーンとどっちが子供に影響ありますかね。
この苦情を言っている保護者は、当然自分の子供にそんなゲームをさせてるわけないし、ゲーム会社にも同じく苦情言ってますよね?当然。でないと単なる偽善者ですよ。
「そんな単純な比較じゃない」と言うんでしょうが、そういうのが大事な教育をダメにしていってるんです。
今、この瞬間自分が楽しければいい。人と同じことをすると安心する。自分の利益にならないことは何もしない。
こんなのが当たり前になりつつ若者。そして画面やボタンで繋がる関係。
そんな中で、これぐらいのインパクトを与える時間はあってもいいと思いますが。。。
すぐ横に生身の人間がいることを感じ、極限の選択を考える時間。そこから産まれるものは決して不快なものではないと思います。
この理論で行くと、戦争の話ももうできなくなるかも知れませんね。
子供が不快になるから、という理由で。。。
ラグビーと私。
どうも。
ラグビーに夢中のEZです。
いや、にわかファンではないですよ(;'∀')
前回も、前々回も、その前もまだこんなにラグビーワールドカップがテレビで報道されてない時から夜中の中継を見ていたぐらいのファンです。
前回大会で五郎丸選手のルーティンが話題になりましたが、あのキックのルーティンを見た時、「あ、ウィルキンソン!」と思ったぐらいのファンです。
え?知らない?それはにわかですねぇ('◇')ゞ
でも大丈夫。ラグビーはそれでいいんです。
ルールは複雑ですが、あの泥臭い感じ、自己犠牲の精神、そして尊敬の念。
そういうのが伝わればそれはもうその瞬間からラグビーファンです。
因みに僕ら世代は確実に「スクールウォーズ」の影響を受けています(^-^)
僕は野球をやっていましたが、野球も素晴らしいスポーツだとは思います。
でも、どこか人のせいにしたり、他人任せで自分は自分、みたいになりがちなスポーツです。団体であるけれど個々の能力でまぁまぁ勝ててしまうことがある。
ラグビーはそれでは絶対勝てません。
15人のうち、一人でもそういう意識の低い選手がいれば絶対負けます。それをみんなが共有し、自分の役割を必死に遂行しようとする。そして誰かがその役割を遂行できない状況になれば自分を犠牲にして助けに行く。
そして試合が終われば敵味方関係なく讃え合って、尊敬し合う。
僕がいた高校の野球部ではありえないことです。尊敬どころかキャプテンの僕を副キャプテンが陰でののしるというありさまだしね(-_-;)
おそらくあの野球部メンバーがそのままラグビー部だったら、スクールウォーズの「109対0」などではなく、「200対0」みたいなことになっていたと思います。いや、もしかしたら試合中に死人がでてたかもしれない。それぐらい他人任せのチームでした。
そうそう、思い出しましたが、遠征で某県のそこそこの強豪と試合したときですが、「23対0」というのがありました。野球ですよ。ラグビーじゃなく。
その試合も移動に疲れ、ダラダラしてたと思います。そうなると、僕一人が声出したり動き回ってもどうにもなりません。
まぁラグビー経験者からしたら、ラグビーで僕のような経験をした人もいるかもしれませんが・・・
でも、やはり試合から感じるパワーは少なくとも僕がやっていた野球にはないものです。そういうところに惹かれるんだろうと思います。。。
では、日本代表のトップ8を願って応援しましょう!
就職氷河期世代ですけど何か??
こんにちは。
自分も就職氷河期世代だと思っているEZです。が・・・
先日、宝塚市が就職氷河期世代を対象にした職員採用試験を実施したというニュースが話題になっていました。
僕はバブルが弾けたほんとに直後世代で、ほんの2つ上ぐらいの大学生先輩の話を聞くと、「内定式は高級ホテルのディナー」とか、「内定者研修はハワイ」とか、もっとすごいのは「内定先から車を貰った」とかでした。が、そんなのが当たり前だった時代から一変、採用枠10人に1万人が応募とか、有名大学以外は企業説明会にも参加できないとか、そんなのが当たり前になっていきました。(今回の宝塚市も3名採用に1600名ほどが応募したとか・・・)
そんな時代だったからこそ、今その世代に向けた雇用政策が動き出しています。
でも、今回の募集・・・対象年齢は「35歳~45歳」。
僕、今年46歳。外れてます(;'∀')
あれ??46歳は氷河期世代のカウントじゃないのかぁ??
となると、国が動き出した氷河期世代の雇用対策もこの年齢制限なのかなぁ。。。
なら、団塊ジュニアで人数が多い僕の年齢の人はその政策にも参加できない可能性もある、ということですよね。。。
ロストジェネレーション、失った世代。
ここにきてもまだ失うことになるのか・・・
やはり、こういうのは自分で切り拓くしかないんですよね。
期待してもどうにもならないし。
でも今後、僕らの年齢の転職希望者って確実に増えると思うんですよ。
今、中小企業ではほんとに人材不足で困っているから、それこそ考え方によってはしっかり正社員で安定できる方法はあると思います。もちろん、企業側も考え方を転換する必要はあります。
現実に僕が今、転職支援に関わってる方も同じ世代だから、別にあきらめることはないんですよね。一人で無理なら色んなものを使えばいい。特に僕ら転職エージェントは相談も支援も無料ですから。
あ、大手エージェントなんかではダメですよ。登録しても情報を垂れ流すだけだから。
ほら、こないだリ〇〇ー〇が最悪の情報垂れ流して儲けてたニュースがあったでしょ?
あんなことを平気でやるんだから真面目にその人の就職を決める気なんてないんですよ。
ま、それはさておき、僕らの世代って、ちょうど派遣会社とかが大きくなってきて、そういうのに流されてきたところもあるんですよね。そういう風潮に乗らされた感じはある。まぁ、正規雇用されにくい現実もあったけど・・・
いずれにせよ、もう過ぎてしまった時代のことは仕方ないので、これから僕ら世代がどう社会に交わっていくか、考え直す時期なのかもしれませんね。
僕は、今の僕の仕事の中でやれることをやるつもりです。
では。。。
ネガティブ思考が考えるよくわからない話。
おはようございます。
月曜日と雨が嫌いなEZです。
なので今日は最悪の組み合わせの日ですね(;^ω^)
ダメダメ、こんなこと言ってたら千葉の台風被害に遭われた方々に申し訳ない。
何不自由ないこの状況を有難く思って過ごさせて頂きます。
先日、何の番組か忘れましたが、ある人が「マイナスなことを発信する方が視聴率が上がる」みたいなことを言ってました。
ワイドショーなんかはまさにその法則で、よく見てるとその話題はほとんどマイナスなものだということに気づきますね。
殺人事件、事故、虐待、不倫・・・嫌だけどこういうのを見たがる傾向があるようです。
逆に明るい話ばかり取り上げたらどうなるんでしょうね。
毎日、全部が誰かの結婚、出産、出世、成功の話・・・
これ、見たいかな(;^ω^)
やりすぎるとかなりウザいですよね・・・
なるほど、一つのワイドショーに10個の話題があるとしたら、8個はネガティブで2個がポジティブな話題にする方が番組のバランスとしてはいいのかもしれませんね。
映画でもドラマでも、ずーっとハッピーな状況のままハッピーエンドになる話なんか面白くもなんともないですよね(;'∀')
不幸、不幸、不幸・・・・で最後も不幸みたいなのはたまにありますけど・・・
と考えると、やはり人間はどちらかというとネガティブ思考をより多く受け入れる体質になっていて、それをある程度のラインで自制するためにたまにポジティブ思考をいれるぐらいでバランスを保っているのかもしれません。
特に根拠のないアホポジにはうんざりするので、やりすぎは危険。
40歳超えてからのアホポジとは付き合わない方がいいですね。
でも世間は、「前向きに生きよう!楽しく!明るく!」みたいな傾向で、SNSでも無理に映えさせたりするような世界になりつつある。
どこかに、ネガティブなことを言い合うだけのSNSもあったら・・・いや、これはこれでちょっと怖いことになりそうだ。。。
まぁ、ネガポジのバランスが大切で、そのバランスがわかる人と付き合っていければ、僕らネガラーも生きやすい世の中になるのかなぁなんて思う今日この頃です。
僕も時々ポジティブ思考で考えたりもしますよ。ただ僕の場合、ポジティブ思考過ぎて調子に乗ると後で失敗するというトラウマがあるのでそこが弱点ですけど。。。
では。。。