平成という時代が作ったネガティブな自分とは。
おはようございます。
もうすぐ平成も終わりますが、皆さんの平成はどんな時代だったでしょうか?
僕は高校入学が平成元年、それから20代、30代とまさに青年期を過ごした時代でした。同時に、自分の人格形成がはっきり進んだ時代でもあります。
高校時代の野球部主将経験のトラウマ、社会人になっての理不尽な命令や土下座、1回目結婚で妻の不倫による離婚、専門学校教員時代のパワハラ・・・そのカテゴリーごとに毎回人格を否定されるような出来事が起こってきました。
一方で確実に楽しかった出来事もあるはずですが、それはあまり覚えていません。
それぐらい、僕の中ではネガティブ要因が強いんだと思います。
でも考え方によっては、これらの経験を今の仕事で逆に自虐的に出すことで話のネタとしては救われている部分があることも事実です。
僕は仕事柄、人と面談することが多いんですが、だいたいこれぐらいのネガティブ経験をしていると、相手の悩みや困りごとにほぼ100%同調できます。そしてリアルな事例としてお伝えし、安心してもらえることが多いんですよね。
あまりこういう経験のない人は、見当違いの励ましや前向きさを前面に出してしまうので、ちょっと引かれることもあるんです。いわゆる、「意識高い系」の皆さんです(;^ω^)
平成という時代は、そういう意味ではこれからの僕のスタンスを良くも悪くも作ってくれたんだと思います。これら平成の記憶は僕を組み立てた部品となり、そして令和で完成するのだと言い聞かせて生きていこうと思います。
ネガラーなりの生き方。前の向き方があるんだと思います。
それでは。